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二宮金次郎は西大芦を歩いた

神舟堰(かぶねぜき)

大葦(おおあし)神社末社の二宮神社

二宮金次郎(尊徳)は嘉永6年(1853)67歳の時に、日光神領の復興を幕府から命ぜられて神領内を廻村しました。それを基に、子の二宮弥太郎(尊行(たかゆき))が各地で仕法(事業)を行いました。その1つとして神舟堰の設置と用水路の開削が行われたのです。

 

神舟堰は神舟神社前の大芦川の岩がせまり、最も地の利を得た地点に築かれて用水は上下大久保村の荒地を水田に変えました。しかし、明治35年(1902)の洪水で流され、一部跡が残るだけで、二宮堀は用水路として今も使われています。

 

下大久保にある大葦神社の境内には、二宮金次郎を祀った石の祠(ほこら)と灯籠があります。

慶応2年(1866)に大久保村民によって建てられました。金次郎が亡くなって10年にして建てられた小さいながらも二宮神社。村民の感謝の思いがしのばれます。

西大芦地区ふるさとづくり協議会

お食事処

地元の食材を活かしたおいしい料理がたくさんあります。

観光案内

古峰神社をはじめとする神社仏閣や、大滝などの自然が豊かです。

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